うさぎ島こと大久野島は、うさぎの楽園

広島県

大久野島の歴史は濃い

瀬戸内海の小島「大久野島」。島の周囲は約4キロで、十分歩いて一周できます。山陽本線の呉線「忠海」(ただのうみ)駅から歩いて船着場へ。フェリーで15分で着きます。本州から目と鼻の先にあるような、こんな小島に深くて濃い歴史がありました。

JRを乗継ぎ、忠海駅へ

福山駅で呉線に乗換えます。JR西日本のこの路線は、RedWingのこの車両がかなり導入されていました。きれいです。2015年から広島エリアで導入が始まった車両らしく、中には、カープ電車もありました。

これが、カープ電車です。三原駅で発見。これができるのがすごい。

海岸線を通り、尾道の少し先の忠海に向かいます。

忠海駅に着きました。ただのうみと読むようです。

駅の構内には、竹原市が設置した交流スペースがありました。図書などもあり、ゆったりできます。

忠海港に向かいます。

駅を出ると、案内表示があり迷わず港に行けます。

5分くらいで、切符売場へ。なんとおしゃれな建物。喫茶店と間違いそうです。

店内は、土産物売場と切符売場が併設になっていて、人が多いとかなり混雑しています。

切符の自動券売機です。往復で、大人620円でした。

船に乗り込みます。

いよいよ出港です。

時間帯によっては、フェリーではなくこの小型船になるようで、ホワイトフリッパー号に乗り込みます。

忠海港を後に、島に向けて出発します。

15分で大久野島に着きます。近づいてきました。

島に上陸します。

船から降りるのは、ほとんどが観光客です。桟橋は、フェリー使用になっています。因みに、この島には、原則、車両を持ち込めません。荷物搬送などの業者の車両のみのようです。それは、・・・・

すぐに、ウサギが近寄ってくるからです。危なくて、走れたものではありません。

港から、島の宿泊施設である「休暇村大久野島」のバスが、船の到着時間にあわせ迎えに来てくれています。宿泊客以外でも、施設までバスに乗ることは、可能のようです。でも、2キロぐらいなので、歩くことにしました。

バスが、ゆっくり走って行きます。時おり、クラクションを鳴らします。

至る所に、案内標識があり、迷うことはありません。

歩いていたら、すぐに寄ってきます。段々気づいたのですが、人が買い物袋などを触って、クシャクシャ音をたてるのに反応しています。食べ物をくれる条件反射でしょうか。

この日は、家で育てているキャベツを持って行きました。無農薬で、青虫が食べた跡いっぱいの葉っぱです。因みに、人間が食べるお菓子やドックフードは体を壊すようです。ニンジン、キャベツなどの野菜スティックを忠海の切符売場で売っていました。島では売っていません。

休暇村専用の作業車両です。この島には、民家はなく、すべて休暇村の従業員だそうです。

うさぎは、夜行性ですから昼間は木陰にいます。

ウサギは、常に水が必要です。水入れが至る所にあります。

外国人観光客にも人気です。しかし、カップルが多かった。

海のすぐ側でも遊んでいます。

こんな奴もいました。何を思っているのでしょうか。もしかしたら、人間よりもすごいことを考えているような。

ウサギの耳をデザインした集音器が浜辺にありました。何が聞こえるのか。

この方には、何語で聞こえているのでしょうか。

まだ、欲しいぞー

登ってくるようにしてキャベツを催促します。

でも、ウサギは抱いてはいけません。ウサギの骨はとても弱く、ケガをしやすいことと、地面から離れることにとてもストレスを感じるからです。

向こうからスキンシップを求めてきますが、そこは、彼らのことを思って、触れるのは最小限にします。

島内に、自転車で来る人もいます。

休暇村大久野島へ

港からしばらく歩くと、あります。丁度休憩したいと思うころに到着します。

宿泊と1階のレストランで食事もできます。

レストランの内部です。

窓際の席に座りました。

ご当地メニューを注文しましたが。

同じフロアーにハンバーガーも売っていました。こちらにした方がよかったかも。

島には、つらい歴史もあります。

旧陸軍が、終戦までこの島で製造していた毒ガス工場の跡です。15年間に6600トンを製造したとされ、終戦後、進駐軍の指揮の下、日本人によって太平洋沖に投機されたり焼かれたりして廃棄されました。この建物が黒くこげているのは、火炎放射器で焼かれたからだと解説されています。

英文でも解説されています。外国人はどう感じ取るのでしょうか。大切な記録です。

製造した毒ガスの貯蔵施設だそうです。

コンクリートのトンネルの向こうにも大きな建物跡があります。

旧陸軍の発電所跡だそうです。毒ガス製造には莫大な電力が必要だったのでしょう。当時の発電効力が今よりも劣るとしても、すごい規模の施設です。

戦争に関するこの島の歴史はさらに古く、これは、1902年に日露戦争の際、ロシア海軍の瀬戸内海侵攻に備えた砲台の跡施設です。穴に見えるのは、待避所でしょうか。

砲台が置かれていた部分です。100年以上前に築かれたレンガなのかも。この、丸い部分が大砲の回転する部分かも。

砲台が建設された当時の様子だそうです。近くの石積みの桟橋にあった解説板の写真です。

帰りのフェリーに乗るため再び港へ

お昼過ぎの便に乗ります。

この便に乗る人はかなり多かった。この時間帯は、小型船ではなくフェリーが運航していることに納得。

近づいてきました。

皆さん、係員の指示通り速やかに乗船し、車両があまり乗らないこともあり、あっという間に出航です。

船の内部はこんな様子です。

この海域は、小型船もよく通る航路になっているみたいです。

やっぱり、船に乗るとこんなカップルが似合います。

忠海港に着きます。この折り返しの便に乗る乗客がすでに並んでいます。

船旅を終えました。

大久野島になぜウサギがいっぱいいるのか、はっきりとした理由は分からないようです。でも、この島のほとんどが国有地で、ウサギ自体はこの島で野生ではなかなか生き難く、実際、島の至る所にウサギ用の水が用意されていて管理しているのを見れば、人間の意志があるような気がします。それは、濃い過去のイメージを変えようとするものかどうかは分かりません。ただ、この島のウサギに会って、このおとなしくて、いろんな条件がそろわないと生きていけない状況は、私たちに、「あなたもよ。」と教えてくれているような気もしました。たった100年ほど前に、瀬戸内海のこの島が、こんなに過酷な状況に置かれていたことを知り、今のこの時を、大切に生きなければと思いつつ、帰りの電車に乗りました。

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