肱川流れる大洲市は、伊予の小京都

愛媛県

大洲市前地区のひまわり畑

大洲市の肱川河川敷前地区の有名なひまわり畑。毎年、7月下旬から8月上旬が見ごろと、インターネットで案内されていますが、今年は、植え付けがかなり遅かったようで、7月27日に訪れた状態では、開花までにまだ、相当日数が必要な感じでした。この地域は、国土交通省や地元大洲市を始め、大洲農業高校も協力して、6,000平方メートルの敷地に栽培するようです。かなり広いので、いろんな事情があるのかも知れません。また、来年、来てみます。

大洲城が見守る肱川

大洲市市制施行50周年記念事業として、平成16年に復元された天守閣。最近です。在りし日の外観写真や内部構造の資料がかなり残っていたことから、復元が可能となり、木造で再築されたとのこと。大洲市民のシンボルとなっています。手前のJR予讃線を走る普通列車のブルーも、山の緑に溶け込んでいます。この写真は、肱川の護岸から撮りました。かなり高い位置でしたが、川と道路が接する辺りには、漂流物が残っていて、一昨年の西日本豪雨の氾濫を思い起こさせます。

鉄橋の下では、夏休みを楽しむ学生がいました。

少し離れた所には、鵜飼の見物客を乗せる船でしょうか。夜に備えて待機していました。

カヌーの練習をする学生たちがいる向こうでは、河川の復興整備をする重機が置かれていました。

重要文化財の臥龍山荘へ

大洲藩の歴代藩主の遊賞地(別邸)だったものを、明治時代にこの地に縁のある豪商が再整備したもの。建物の趣や周囲の自然と調和した庭園作りなどから、2011年にミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの一つ星に認定。2016年に国の重要文化財に指定されています。入館料は大人500円でした。

ちょっと離れた所に、まちの駅あさもや(観光案内所)があったので、駐車場について尋ねてみると、4,5台は置けますが、念のため、ここに停めて歩いていった方がいいのではと教えてもらい、そうすることに。

この観光案内所前には、循環バスの停留所もありました。大人150円で大洲城やJR大洲駅などに行けます。

歩いて、10分程度だったでしょうか。でも、近道があったので、帰りはそちらへ。

途中にあった、保育所です。まさに川のすぐ側に建っていて、後で近隣の方に伺うと、西日本豪雨の際には、天井まで水がきたそうです。今は、立ち入り禁止になっていました。関係者に人的被害がなかったことを祈ります。

臥龍山荘入り口です。すぐ下に肱川が流れていますが、ここは、かなり高台になっています。豪雨の被害は無かったようです。

離れた所から撮影しました。奥の藁葺きの屋敷が臥龍山荘です。

施設の中を見学します。

入り口の門です。奥で、スタッフの方が暑いので打ち水をしていました。

石段を登って、玄関へ。

建物は、桂離宮などを参考に再現されたそうです。まさに、侘びさびの世界です。

施設内は、必要な照明以外は、基本的に電気器具はありません。冷暖房器具もありません。スタッフの方は、大変だと思います。

庭園の下には肱川が流れています。これも一つの借景でしょうか。

熱心に、スタッフの説明に聞き入る観光客の方もいました。

さらに奥の不老庵へ。

不老庵の外廊下の下は、すぐ肱川です。廊下に立つと、ちょっと、スリルがありました。

風情がある小路を通って帰ります。

臥龍山荘から観光案内所までは、この道を通るのが正解だったようです。

至る所に、情緒を残しています。

肱川を一気に下って、河口に

臥龍山荘を後にして、河口付近の長浜地区に向かいました。堰堤は整備されています。

向こう側の高い橋は新長浜大橋。手前の低い橋が長浜大橋です。長浜大橋は、バスキュール式鉄鋼開閉橋という名の構造で、1935年に建設されました。80年以上前です。中央部が船の航行のため、開閉する道路橋で、この方式の橋で稼動しているのは、日本に3つしかなく、その内、道路橋はここだけだそうです。現在は、定期点検と観光のため、日曜日の午後1時に開閉するそうですが、あいにく、今回は、スケジュールが合いませんでした。この橋も、平成26年に国の重要文化財に指定されています。また、秋から冬にかけて独特の霧が発生することで有名な肱川あらしもこの付近で見ることができます。次の機会に是非投稿します。

大洲市を流れる1級河川の肱川が氾濫したという事実を現場に出向いて実感しました。歴史あるまちを市民の皆さんが大切に守っている中で、自然の猛威は時に冷酷です。途中見つけた保育所施設の被害は、もし、このような事態になるならここには建設しなかったと誰もが悔しがっていると思います。しかし、観光名物の鵜飼も復活したようですし、穏やかな肱川の顔も戻ってきています。応援しています。

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