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高松市街と瀬戸の島々を一望
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山上には、四国八十八箇所霊場第八十四番札所の屋島寺が建立されているため、お遍路さんの姿も多い。山上の西側付近にある、れいがん茶屋の展望台「獅子の霊巌」からは、高松市街や女木島、男木島、小豆島など瀬戸内海の島々を、パノラマ的に見ることができます。
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訪れた日は、霞がかかっていたので、遠くのほうが鮮明には見えませんが、海に開けた高松市の様子がよく分かります。宇野と高松間が、国道航路として発展した歴史を改めて感じます。手前は、県営団地を中心とした住宅地、中心の小高い山が栗林公園の背景となる紫雲山、紫雲山の手前に、高松市の中心街が位置します。
琴電で屋島駅まで
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屋島山上へは、いろいろな方法で登れますが、手軽なのは、まず、琴電志度線で麓の屋島駅まで。高松駅からは、大人320円。こども160円。
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見るからに歴史を感じる風情がある屋島駅の駅舎です。
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駅舎の表示板も古さを意識しています。
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建物の中に駅舎の解説文を掲示していました。それによると、この建物は、昭和4年の屋島登山鉄道の開設時に建設されたものらしく、平成21年には、近代化産業遺産として認定されていました。
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照明も当時のものではないと思いますが、雰囲気を壊していません。
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電車は、約20分ごとに便があります。
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屋島駅前からは、山上までバスが接続しています。
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料金は、大人もこどもも1乗車100円です。山上に行く時には、途中で四国村に停車します。
今はなき、屋島ケーブルカー
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屋島駅から、屋島を見上げると、中央に樹木が切れた線上のルートが見えます。これが、在りし日にケーブルカーが敷設されていたルートです。この運行会社が屋島登山鉄道であり、ケーブルカーの開始に合わせ、琴電屋島駅ができたようです。
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今でも、上り口の屋島登山口駅があったところには、ケーブルカーが廃止当時のまま、置かれていて、じーと時が経つのを見つめています。このケーブルカーは昭和初期ですから当然国産ではなく、スイス製だそうです。
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ケーブルカーの電力を供給していた変電室の建物です。
屋島山上に向かいます。
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途中の四国村の停留場です。現在は、山上へ向かう登り便のみ停車します。この辺りも勾配がかなりあるため、下り便が停車するのは危険なようです。
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山上へ向かう道路「屋島スカイウエイ」です。以前は、有料道路でしたが、現在は高松市が購入し、一般市道です。
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山上までの途中には、展望台があります。ここからは、源平合戦の場所であり、源義経の命の下、那須与一が扇の的を射抜いたといわれる舞台を一望できます。
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源氏に襲撃された平氏は、この後、山口県壇ノ浦に向けて撤退することになります。
山上は、とにかく広い。
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広い駐車場です。駐車料金は、普通車1回300円、バイク120円。
駐車場の一角に麓からのシャトルバスが着きます。
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うどんめぐりツアーバスも団体さんを運んで来たようです。コースの中に屋島観光が組み込まれているようです。
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屋島の全容案内図です。思いのほか広く、北嶺の方まで一気に歩くのは、かなりしんどそう。でも行きますが。
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駐車場から屋島寺への進入路部分には、源平合戦の丁寧な解説がパネルで設置されており、読みいってしまいました。
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駐車場側からの屋島寺の門です。豪華です。
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屋島寺では、お遍路さんが読教をあげていました。
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山門から屋島寺を見たところです。
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南嶺の遊歩道を歩いていくと、獅子の嶺巌でお遍路さんの団体が、一服していました。
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島々の点在美を見る人たちも。
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屋島名物「かわら投げ」の看板がありました。かわらけ投げとも言います。
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このような、おちょこぐらいの大きさの素焼きの皿をかわらけと言っています。この皿を1枚ずつ、海に向かって投げます。実際は、山肌に落ち、素焼きですので、時間の経過で土に戻ります。
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6枚200円で売っていました。料金はセルフで箱に入れます。
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歩いていくと、山上になんと、水族館があります。施設の老朽化のため、紆余曲折がありましたが、とにかく新屋島水族館として継続することが決まりました。
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水族館の入り口には、イルカのオブジェがあります。ここには、イルカ、アシカ、ペンギン、海がめなど予想を超える充実振りです。水族館の詳細は、別の投稿で。
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八重桜がきれいに咲いていて、瀬戸内海の風景を借景にします。
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こんなに微笑ましく、美しい家族もいます。
北嶺を歩いてみます。
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屋島の不思議な所は、どこを切り取っても、屋根のような形をしている所です。駐車場付近から北嶺を見たところです。これから向かいます。
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北嶺先端の展望台「遊鶴亭」まで2.3キロ。結構歩きます。
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遊歩道は、こんな感じです。道は基本的に舗装されていましたが、崖側に柵がないので、気をつけて歩きます。
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途中には、瀬戸内国際芸術祭の作品展示場所もありました。この日は、作成中です。
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途中の道からは、市街が見えます。
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屋島寺の前身があったとされる、千間堂跡が途中にあるようです。
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途中の休憩所ですが、公園形式のかなり広い場所でした。
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やっと、千間堂跡に着きました。
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唐招提寺を開いた鑑真和上が、754年に堂を建てた後と解説されています。
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仏具が出土したということです。
遊鶴亭に着きました。
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樹林から急に視界が開け、北嶺先端の展望台「遊鶴亭」に着きました。思ってた以上にすばらしい景色が見えるビューポイントでした。これは、すばらしい。
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どうですか、この景色。瀬戸内海の四季で追い求めているのは、こんな景色のような気がします。
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多島美とフェリー。自然と人間の技術の調和。すばらしい。
再び、南嶺の段古嶺を目指します。
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北嶺から約2キロの道のりを引き返し、屋島の東面になる段古嶺に来ました。まさに、この眼下が源平の戦場となった場所といわれています。今でこそ、海岸部分の多くが埋立整備されていますが、当時は、まったくの広い湾だったことから、源氏と平氏に分かれた何百という軍勢が戦う舞台にもなったのでしょうか。
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真ん中辺りに見える海は、庵治半島の向こうの志度湾です。源氏が徳島の勝浦から一気に屋島に向かうため、通ったといわれる険しい大坂峠は、この方向です。
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麓から続く屋島スカイウエイが見えます。
屋嶋の城へ向かいます。
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最近整備された屋嶋の城(やしまのき)の案内板がありました。
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これが石積みを復元整備した屋嶋の城の城門です。日本書紀にも記されているこの山城は、白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に敗れた大和朝廷が瀬戸内海の防衛のために、築いた拠点であったとされています。当時の屋島は、全くの島で、南嶺のほとんどが崖で、この城門付近が断崖の切れ目だったとされています。屋嶋城自体の研究はまだ全容が分かってないようです。
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屋嶋の城の解説版が設置されています。
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水を抜くための穴ということです。
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600年代にこのような石積みの技術があったことがすばらしい。
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付近には、屋島ケーブルカーの山上駅跡がありました。もちろん危険なため、中には入れませんでしたが、昔の建物ならではの哀愁と、当時は、この山上駅からたくさんの人が降り立ったのだという不思議な感覚になります。
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屋島を案内した高松市のパンフレットです。南嶺と北嶺の位置関係がよく分かります。
屋島山上は、もちろん四国霊場八十八箇所の八十四番札所である屋島寺があるため、古くから多くの人が訪れていましたが、昭和初期には、たくさんのホテルや旅館があり、修学旅行生を受け入れたりもしました。その後、観光地ブームの変遷により、衰退したものの、現在、高松市を中心に再度活性化とその文化的価値のアピールを目指しています。新たな拠点施設建設の計画もあるようです。
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