東洋のマチュピチュこと別子銅山の秋

愛媛県

住友グループ発展の基礎が別子銅山だった。

別子銅山は、1690年(元禄3年)に発見され、翌年から1973年(昭和48年)まで採鉱されたとされています。元禄3年といえば、5代将軍綱吉の時代です。この282年間に銅山として栄えた別子地域には、山奥にもかかわらず多くの採鉱関係者とその家族が住み、小学校や中学校もあったそうです。住友グループの礎となった銅山開発だったようです。今、その遺跡を世界遺産に登録しようとする動きも出ています。

JRで新居浜駅まで近づきます。

今回は、JRで新居浜駅まで行き、そこからバスで最終の東平(とうなる)まで旅をすることにします。坂出ー新居浜間は、乗車券1660円です。

JR予讃線は、海辺を通ります。途中の観音寺辺りから先は、平日の昼間はほとんど乗客がいませんでした。

新居浜駅に到着。坂出から約2時間です。電車は、この先の伊予西条駅まで行きます。

駅を出るとすぐにバス乗り場があります。マイントピア別子行きのバスは、2番乗り場から出ます。

駅前からマイントピア別子行きバスに

目的地のマイントピア別子は、終点です。大人390円。降りる際に料金箱に。

新居浜駅から7~8キロ程度でしょうか。国領川に沿って登って行くと到着します。

道の駅マイントピア別子の建物です。レストランや温浴施設、鉱山鉄道(観光坑道を走ります。)乗り場もあります。

周辺の風景です。右側の道が、登ってきた新居浜別子山線、別名別子ラインです。

ここは、最後の採鉱本部跡地

この道の駅付近は、端出場(はでば)地区と呼ばれ、採鉱作業の本部が置かれていた地区です。山間部や地中深く掘り進みここに銅鉱が集められていたようです。周辺の施設を探索しました。

水力発電所跡です。銅鉱石から銅を分離する電力を作り出していたものです。現在、展示施設に改修するため、工事をしているようです。

4596mの輸送路の入り口です。明治から大正にかけて造られたそうです。

四通橋です。第四通洞の延長線上にあり、銅を運ぶため、新居浜港への下部鉄道につながっていくようです。

近くに、下部鉄道の廃線跡らしきものがありました。

この付近は気温が街中よりも少し低いらしく、紅葉が随分進んでいます。

いよいよ、マチュピチュ思わす東平(とうなる)地区へ

自家用車でも行けますが、途中の道が半端なく険しいとどの情報でも周知されているので、ここから専用の観光バスに乗ります。大人1350円です。午前10時と午後1時に出発します。約2時間でここに帰ってきます。黄色いジャンバーの方は、ボランティアガイドさんです。

途中の道路の高低差を解消するためのループ橋です。

国領川沿いの県道は、トンネルがあるものの、結構整備されています。

問題は、ここから分岐して山に入る市道部分です。

対向車が来たら、とても交差できない部分が延々と続きます。

かなり、標高の高い所を走ります。

山奥に取り残された遺跡

ほぼ、頂上付近が到達点で、この付近一帯が東平地区です。ガイドさんの熱心な説明が始まりました。

見渡せば、山頂付近は霧が立ち込めています。

まずは、全体像を把握するため、東平歴史資料館で学びます。

当時のこの地域の活況のある作業風景や生活の様子が、写真でよくわかります。

斜面を切り開いて宿舎を建設していた様子が、ジオラマで再現されています。

付近の山の中から、堀出した銅鉱石を、この東平地区の当時の作業本部に運ぶための鉄道写真です。すごい。

この基地に銅鉱を運搬していた鉄道敷きの一部です。

展望台から、東平ゾーンの全景を見たところです。左上の施設が東平貯鉱庫跡、その下の施設が索道停車場跡です。貯鉱庫の鉱石を下に移動し、停車場跡の施設で選別、積み込みをしたそうです。

停車場跡施設へ降りていきます。現在は、220段の階段になっていますが、当時は、道の駅マイントピア別子にあった施設までトロッコ鉄道が敷設されており、そのレールがあったそうです。別名インクラインです。

下から見た遺跡群です。巨大で圧巻です。

当時の、作業の様子を残す写真パネルがあります。四角い穴から出された鉱石をトロッコに乗せて積み出す様子です。

この穴から、銅鉱石と供に、江戸時代からの産業発展の歴史が送り出されました。銅は長崎から輸出されたという説も。昔は、日本の銀と銅は世界でも有名だったんですね。

再び、観光バスに乗って下山します。帰りも対向車が来たら交わすのがなかなか大変そうです。

道の駅マイントピア別子まで帰り、休憩した後に、路線バスで新居浜駅まで帰りました。ほとんどの乗客が新居浜駅まで乗車したところを見ると、皆さん観光客だったんですね。駅までは、約20分程度。この別子銅山の遺跡は、風景や歴史の長さなどから、東洋のマチュピチュと呼ばれています。確かに、普段見ることができない風景で、日本や新居浜、銅産出の歴史などを考える貴重なものです。しかし、いつまでも今のまま見ることができるとは到底考えられません。どんどん石もレンガも風化しています。保存の動きもあるのでしょうが、今、見ておくべき遺跡です。

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